特濃レビューを書きながら思った

今回に限らず、感動をおぼえるレベルの傑作ゲームに出会うと、おれは比喩てんこもりでレビューを書いてしまう。

しかし、それらオモシロについて、ここで言葉を尽くした結果、何の変化があるか。よくて、会った人が「あー、日記になんか書いてましたねー」とリアクションをくれる程度である。なんかってなんだ!
まぁ長文がうざいから相手するのがめんどくさい、というのはあるかもだが。
しかし、反応の鈍さには、そういうおれ自身の問題よりも重要なことがあると感じる。
たとえば「昨日読んだ本」としてここにISBNを画像つきで紹介すると、それほど熱を込めて紹介したわけでもないのに、レポートを見ると、思いの外クリックがあったりする。
リアルによって裏付けされないレビューっていうのは、結局のところ見もさわれもしないものを誉めているフィクションと同じ。ゲームの情報を主体的に集めてる人でもなければ、あとは、架空書評が好きな人に読んで貰うくらいしかない。
虚数 (文学の冒険シリーズ)

書籍の場合は、その裏付けは(一応)ISBNという一意のIDによって取られている。だから、ひとは一定の興味を持つのじゃないかと思う。

結論

  • 書いていることが現実に裏打ちされている保証のために、一意のIDで表記できる形でゲームをゆびさすべきではないか
  • ボードゲームはアマゾンでは買えません
  • 一意のIDのためにplay::gameのデータベースを利用しよう
  • 検索→ゲームのレコードを見つける→URLをコピー→リンクを書く
  • タグ書くのめんどい場合はブックマークレットをお使いください