いろいろメモ

Wikiばな

不特定多数からの編集を前提にしてるからWikiでは文体が変わる、というのはわかるんだけど、それが「よい」価値として前提されがちなのが気持ち悪い。編集が開かれているのがWikiであってそれ以外はWikiじゃない、という教条的な話なんだろうか。
自分にとっての価値は、なにより記法。WikiNameをURIに1-1対応させることでページとURIマッピングという面倒さを回避しているところ(これは制約でもあるけど)。
ページ間のつながりを表現するのに「ノードからノードへの言及」しか使えないところが、不便な点。

Wikiばな 2

「みんなで編集すればいいものができる」が、Wikiの本質的な価値かどうかが疑問だ。馬鹿が編集すれば馬鹿なものしかできないのに、自分の馬鹿さを超えていいものがどこからか表れることを期待していいのだろうか。

WikiPedia悪魔の辞典ふうに説明すれば「馬鹿が利口の振りをしておこなう百科事典の文体模写ごっこ」とも言える。

他人の編集に晒されるから背筋が伸びていいものができる、というときの「いいもの」の「よさ」とは、本来望んでいた「よさ」なんだろうか*1

たとえば、グローバル変数を使って大人数でプログラムを書けば、みんな緊張してコミュニケーションをまめにとろうとするし、なるだけ全体を把握しようとする。それはいいことか。

はてばな

話それた。で、「記法」というのは「はてなダイアリー」「はてなグループ」の価値の本質ですよね、と。サーバが不安定でもわりと我慢するけど、記法が突然変わったり、日記/キーワード/タスク/BBSでの記法の統一性が壊れ始めたら、こりゃだめだな、って思う。

*1:g:fragmentsをやってやめた自分が、なんだろうか、と疑問文にするのも白々しいが…