3月のまとめ

映画

今月は4本。累計、16本。これくらいが適正か。

感想

メランコリアは結局感想書いてないけど、まぁ手に余る。1回観ただけじゃちょっとなー、って感じ。冒頭だけとりだして「映像美だった!」とか書いても、おれにとっての意味ないし。

最近の再生(「ヒューゴの不思議な発明」「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」)

ヒューゴの不思議な発明(映画)

各世代向けに人物が配置されているところ、突然「映画はじめて物語」がはじまって子供がおいてけぼりになるところは面白い。

サシャ・バロン・コーエンがいつ3Dで不謹慎なことをやるか、とハラハラしながら観ているわけで、その意味ではたいへんスリリングな映画体験だったと……なわけない。

いろいろできたろうに、なぜこういう見せ方にしたのか? という疑問は残る。いつかゆっくり見返したい。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(映画)

世界にかけられた謎を解くことに意味はあるか、謎をかけた人が死んだ後でもそれを解く意味はあるか、という話と思って観ていた。

おばあちゃんと間借り人(マックス・フォン・シドー)のキャラクターがよくわからんな、と思ったけど、そこは原作で語られているところか。

最近の再生 (サラの鍵)

サラの鍵(映画)

過去にとりつかれてしまった人達の話、と思って観た。

このあいだ石牟礼道子さんの番組をNHKでやっていて、twitterで見たら「政治は何もしなかった。福島の二年後が水俣のようにならないことを祈る」という内容の感想が上がったりしていた。うへー。そういう人にとってこの映画は「ホロコーストファシズムの非道さを描いた」ものなのかも知れない。

この映画の最後で、ウィリアムはジュリアに「ごめん」と謝る。その意味は何だろうか。デュフォール家のおじさんは、最初頑迷な田舎者に見えていたのに、どうして、(関係ないはずの)アパートの新しい間借り人家族に大量の手紙を送るようになったのだろうか。

もし「ホロコーストファシズムの〜」というテーマだとするなら、事件のことをひた隠しにしていた人々を主人公は非難してもよいはずだ。「あなたたちは語り伝える義務を感じないのか」と。

しかし実際には、個人が出会う歴史とは、どうしようもなく知りたくなったり、書き残したくなってしまう、業のようなものではないのか。業を背負う選択も、背負わない選択も、同等にある。

石牟礼さんは番組の中で「出会ってしまった責任」ということを口にしていた。

2月のまとめ

映画

「ドラゴン〜」入れて8本。累計12本。

どれも面白かった(「ちづる」は、作者があんまり意図してない部分がいいと思えるので微妙だけど)。去年も1月2月ごろまでは「どれも面白いじゃない!」と喜んで観てる。

感想

どんどん頭が細切れになってきてる。これまでよりいらんことを遮断しないと。

最近の再生 (ちづる、ドラゴン・タトゥーの女)

ちづる (映画)

自閉症と(軽い)発達障害を背負った妹のことを映画にしようと、立教大学の学生が卒業制作につくったものらしい。
自閉症のことを知ってくれれば」という意図で作ったと、監督はコメントしているみたいだけど、それを超えた普遍性を感じた。
母親と娘、それを撮影する自分が、まるでひとつの自我であるように見える。ラスト、ソファの上でごろごろする母親と娘は、同じ人に見えるし、だからこそ、途中出てくる「ユニクロ行きたいから金をネコババした娘との喧嘩」が、魂のぶつかり合いに見える。
親に泣かれるってこんな感じだなぁ……などと思って観ていた。

ドラゴン・タトゥーの女 (映画)

予告のハードさで来るべき客が来てないだろこれ。フィンチャーは萌えを理解した。ラスト近くの「May I kill him?」はヤシマ作戦のアレに匹敵する名シーン。名シーンっていうか、なんだ、その……。*1
おっさんの視点だと、願望充足型の映画として観られる(ダニエル・クレイグジェームズ・ボンドが配役されているのも、意味深)のだが、それをまともに口にすると、女の子に「キモっ!」と思われるから注意が必要だ。
100回リテイクすること(がおもに町山さんの評価の中で)で有名なフィンチャーが、リスベットを丁寧に撮っている。食い気味の編集も、北欧の風景が退屈にならないようにリズムを作っていると思った。

*1:リスベットはミカエルに好意を持つのだが、土壇場で人を殺す判断をミカエルに委ねるという描写から、リスベットは恋愛感情を持っているだけでなく、精神的にミカエルに依存しているようにとれる。前半リスベットが性的に奴隷状態にあったという前振りと相まって、この「依存される」カタルシスはわかりやすいエロ漫画のようであり、男性視点で背徳感が高い。シーンは最高なのだが、手放しで喜ぶことがためらわれる

最近の再生 (ロンドン・ブルバード)

ロンドン・ブルバード (映画)

出所したばかりのチンピラ(コリン・ファレル)が、昔の仲間との付き合いを切ることができずに、裏社会に巻き込まれていく。一方で、住み込みのボディガードを募集している女優(キーラ・ナイトレイ)と知り合い、そこで奇妙な生活を送ることになる。

コリン・ファレルの歩く様がよい。

「ボスに気に入られる」というのが、何故そうなるかよくわからない。そりゃボスがゲイだったからさ! みたいな部分に落とそうとしてるけど、もしそうなら、ボスの執着心みたいなものがもっと見えないと判らない。仕事の鬼なのか、主人公に惚れてしまう粘着気質の男なのか、どっちも踏み込んで描かれてないんじゃないか。

サンセット大通り」を下敷きにした映画、ということなので、買って放置してあった「サンセット大通り」を見始めたが、これがめちゃくちゃ面白い。300円で買えるし、おすすめです。今までぼんやり観ていたものがつながりまくる。

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最近の再生(やがて来たる者へ, フロムダスクティルドーン)

やがて来たる者へ (映画)

内容を全く知らずに(ポスターと予告でざっと見たきり)行った。

序盤、ほのぼのとした村の描写が続く。「ミツバチのささやき」みたいな映画なのかな……? と思って観ていると、遠くからだんだん、地響きや落下傘部隊がやってきて、気がつくと村が阿鼻叫喚の地獄になっていた。

google: マルザボットの虐殺

パルチザンに荷担している村人たちには暗号がある。ドイツ兵がやってくるようなことがあったら、見張り担当が大きな声で隠れ家に向かって、「**、塩貸して!」と言うのである。

それを聞いた隠れ家の村人は裏口からパルチザン達を逃がし、自分は「あら、塩って言うから出てきたのよオホホ」と、なにくわぬ顔で塩を片手に表に出てくるわけだ。なんと牧歌的な……。

こういう村人の浅知恵(まだ、「なんちゃって」で許されると思っているふうに見える)が、ドイツ兵の本気のイライラに直面するあたりから、つらい展開になる。

戦争がつらい、というのとは、これはちょっと違う種類の「つらい」なんじゃないか。

「自分は現実を見ているつもりで、たしかにその現実に備えていたのに、実際直面したそれは予想を遙かに超えていた」という、普遍的な怖さに訴えかけるもの、なのかも知れない。

いやー基本ぼくら中立ですし、まさか本当に殺すなんて、ねぇ嘘でしょう? だってこないだまで楽しくやってたんですよ? と、村人も観客も思っている中、意味なくバンバンと人が殺されていく。

精神エネルギーの消費量で比べれば、今まで観た戦争映画では「炎628」なんかが追随を許さないが、前半と後半の落差からくる恐怖や救いのなさは「炎628」と同じくらいあった。

映画のポスターには、主人公の少女の顔が大写しになっていて、目を引く。ポスターでは15歳くらいに見えるが、実際には小学校低学年くらい。整っていて非常に美しいのだが、頽廃を感じさせる顔でもある。この顔がかなり映画を支えている。

フロムダスクティルドーン (DVD)

「ooh..」と声を上げてたら終わった。野沢那智/大塚周夫/広川太一郎という、吹き替えでみざるを得ない面子。